水差しでお墓に水を掛ける行為を、綺麗に清掃するためだけの目的で行っている方も多くいます。水差しはお墓を清掃する以外にも、仏教ならではの様々な考えが含まれているので、しっかりと理解をした上で目的意識を持っておくとよいでしょう。
今回は、水差しが持つ本来の意味と、掛ける時のマナーについて詳しく説明していきます。
先祖に対する挨拶
水差しでお墓に水をあげる行為にはいくつかの意味があると言われています。その一つが先祖様への挨拶です。お水を掛けることがお参りに訪れたという合図になり、先祖の魂がお墓の前に呼び寄せられると考えられています。
お墓参りは先祖の冥福を祈るのはもちろん、元気な姿を見せたり結婚などの人生における重要な報告をすることも一つの儀式です。
そこに先祖がいない状態で報告を行っても意味がないので、訪れたことに気付いてもらうために思いを込めて水差しをする必要があります。
あの世での喉の渇きを潤すため
仏教の教えでは亡くなった人は六道と呼ばれる六つの道を輪廻すると考えられています。亡くなった人は生前の行いによって行く道が決められ、餓鬼道と呼ばれる道にいる死者は飲み物を口にすることができず、常に渇きに飢えている状態です。
お墓参りで水差しをする行為は餓鬼道で水を欲している先祖に分け与える意味も含まれています。この餓鬼はお墓の周りにもいると言われていて、たとえ自分達と縁のない人でも平等に慈悲を与える広い心を持つことも仏の教えの一つです。
亡くなった人に欲はないと思われがちですが、仏教では死者も生者と同様に喉が渇くという教えがあるのでたっぷりとお水をあげることが望ましいと言えます。
水差しを使うときのマナー
仏教は宗派によってそれぞれ考え方が異なるため、水差しでお水を掛ける時の正しい手順はありません。
とはいえ、いくら決まりがないからといって乱雑に掛ける行為は先祖に対して失礼に当たります。お墓の裾や後ろ側から少量ずつ静かに掛けていくことがマナーです。
宗派によってはお墓に水を掛けない場合もあるので、掛ける時は水が跳ねて両隣や後方にある別の人のお墓を濡らしてしまうことのないように細心の注意を払わなくてはいけません。
まとめ
先祖にとって子孫が会いに来てくれるのは何よりも喜ばしいことです。お墓参りに訪れた時は、言葉と共に水差しで来訪を知らせ、元気な姿を見せて時間の許す限り会話をすることが大切になります。
お参りが終わった後に再度お水を掛けて、気持ち良く眠れるようにお墓を綺麗に清掃してあげることも残された人達の大事な役目の一つです。